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会のあゆみ

会のメンバーが山岳会を語ります。

<祝瓶山荘物語> 

                                        竹田憲作

(1)山小屋がほしい

 長井山岳会が結成したのは昭和29年2月9日だった。

 

 4月10〜11日には葉山から御影森山の最初の積雪期登山の成功があった。この計画を聞いた米沢の高校の先生から参加の申し込みがあったが、お断りしている。初めての積雪期登山のため事前の3月7〜8日吹雪のなか葉山神社のお籠堂に泊まってコースの偵察をし、31日にも葉山を偵察した。

 このお籠堂は辛うじて屋根と板壁はあったが、入口の戸はなく内部は吹き込んだ雪を取り出して使った。屋根のある間はお籠堂のお世話になった。位置は葉山山荘西南側だった。

 やがてお籠堂は完全に潰れた。潰れた屋根の隙間に泊まった者もいたという。

 翌30年2月10日から3月7日まで朝日連邦縦走の成功。この年の12月に山形大学山岳部の朝日登山隊が小朝日岳で遭難1名死亡。

 同年4月29日祝瓶山に登るべく5名で角楢平に向かった。リーダーは安藤正吉(第2代会長)、サブが青木とその息子の年代になる竹田・平・牛谷だった。杉林は背丈の倍ぐらいの雪道を歩くのだが、長身のサブリーダーのステップが大きくそれに合わせられず、ズボズボとトレースを壊しながらやっと追いかけた記憶がある。

 半分壊れかかった奥山のぜんまい小屋が寝場所だった。『ここに山小屋がほしい、ここに山小屋があれば登山者が助かる』『この場所はどんな大雨でも、清水が濁らないから小屋場なのだ』安藤さんの言葉だった。

 翌朝は快晴。初めての祝瓶の期待に心ははずみ、アイゼンなしで砂沢を登り山頂に達した。小角楢沢で棒一本渡され、安藤さんの指導で豪快なグリセードを体験することができた。平良三郎(2月の朝日縦走隊員、第4代会長)・牛谷の両君は山頂直下で別れ大朝日岳を目指し5月2日帰宅した。

・・・つづく・・・

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