会のあゆみ
会のメンバーが山岳会を語ります。 <祝瓶山荘物語>竹田憲作(2)建設の発端
今から6〜70年前の話である。全て時効でもあろう。 中部や関西ではダムと発電所を造る民間会社がある。電源開発株式会社という。通称電発と言っているようである。その発電所での電気代の利益はそこの県などの税金として還元される。現在も続いている。戦後の経済復興と拡大は電気の需要が伸びて関東以西ではダムや発電所が次々と造られた。 そしてダム利用水域の高山に、地元に還元するということもあり、ダムや発電所工事を担当した業者がダム水域の著名な山に避難小屋を建設していた。 こうした情報は登山の専門誌などで知ってはいたが、若年の会員には如何ともし難い問題であった。 そのときの副会長梅津正紀さん(長井建設事務所課長後に山形県建設課長など歴任)のもとに、鹿島組の仙台支店社員が仕事のため訪れていた。大学の後輩だった。(※県庁を訪問し課長と会えるなら支店長クラスではないか) 梅津さんの言葉によると、『仕事がほしくてチョクチョク来ておったですよ』『鹿島の仙台支店から来ていた後輩がいましてね、それにけしかけたのですよ』『そんなことなら先輩やりましょうと乗っかったんですよ』このお陰で山小屋建設が具体化することになったのは昭和33年だったと考えている。
・・・つづく・・・
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